我 が 家 へ
2011/ 6/16 記
3月27日 車中より撮影
兄の避難先へ大迂回して車で行けるようになりました。これで山越えせずとも(正面に見える山です)情報や物資を持って行けます。ここは堤防が吹き飛ばされた場所です。ここのすぐ後ろに新北上大橋があります。河川敷に盛土して鉄板を敷き、昼間だけ交互に通行するので10分くらいの待ち時間が必要です。右側が北上川、左側に僅かに残った堤防が見えるのですが、幼い頃から見てきた私にとって信じられない光景でした。
3月30日 ボートを借り、叔父と兄の三人で自宅へ行きました。家の裏側からです。家の回り全体が流木と瓦礫で埋まっていました。津波は押し波で瓦礫を運んで置いて行き、引き波で家財道具を持ち去ってしまいました・・・・・
兄と私の家の間から撮影
作業場の屋根の上に木材が打ち上げられているのが分かるでしょうか?私も最初は何の木か分からずよく見てみると、何と作業場内で保管してたアナログプレーヤーを製作した時のケヤキの端材でした。小さく見えますがとても一人で運べる重さの材ではありません。津波はこの高さまで到達したようです。
車庫ごと流されてどこへ行ったのか分からなかった私の車です。この時はだいぶ水位が下がってきたので見つけられました。元の場所のすぐ近くにあったのですが、覆い被さっている屋根はどこからか流されて来た屋根です。
カールホーン・・・・・
地震による落下防止のため、バンドで壁に固定してたので流失は免れたのですが、バックロードホーンは流されてしまいました。
玄関ホールと台所のドアの間にTVが転がってました。冷蔵庫はドアが無くなり、家の中は辺り一面泥と瓦礫だらけで、ほとんどの家財道具が消え失せてました。
寝室です。震災翌日にドロだらけでも良いから何か着る物は残ってないだろうかと探したのですが、見つけられたのは作業着とシャツ共に一着で、ご覧のように引出しごと無くなり、かろうじて残ってた引出しも中はからっぽでした。中央に転がってるのはエアコンの室外機です。
居間と玄関です。サッシは一枚もありません。外壁、内壁共に至る所で破られています。
兄の家の玄関です。何がぶつかったのか、堅牢なドアがくの字に折れ曲がっていました。
何だか分かるでしょうか?プリアンプの内部です。水が浸入した場所は全てこのように泥で埋まっています。
カールホーンはバンドを外して下に置いたとたん、中から泥水が大量に出てきました。
私が一番気に入ってた、トランスドライブの6B4Gです。線で繋がれていたためか、四台のアンプは全て部屋の隅で折り重なるように泥の中に埋まってたのですが、奇跡的に球は一個も割れてませんでした。
2011年 3月11日 東日本大震災 〜断絶の日常〜
これだけの機器が流されずに残っていました。無くなったのはバックロードホーン、ウッドホーン、ターンテーブルベース、ネットワークが中高各一組、HS−1、HS−52、A−20、SPUーAEとGE、ストックしてた数十本の真空管、アナログ盤とCD合わせて数百枚のコレクション、 他・・・
電線一本、コンデンサー 一個交換しただけで音が変わる世界です。二十年かけてコツコツ造り上げて来た「自分の音」が再び蘇る事も、これらの機器から再び音楽が流れる事も無いでしょうけど、このまま捨てるのは忍びなく、いつの日か手を入れて、できる限り再生したいと思っています。