あの日から6年 復興の現在地
復旧途中の現在の堤防です。仮設堤防が取り壊され、震災前と同様、元の位置に築堤され車も通れるようになりました。震災以前よりも高く、幅も広くなっていますが、今後も工事は続くようです。新北上大橋は本復旧のため仮設橋を取外し、2ヶ月間の全面通行止めを経て昨年6月に復旧工事が完了しています。あの日から6年、やっとここまで復旧しました。破壊された構造物は復旧、復興されつつありますが、仮設住宅で暮らす方々はまだ7万人以上います。その一方で災害公営住宅は空室が出ているというこの現状の歪みには何とも言葉がありません。今日の石巻は朝は晴れて暖かでしたが、昼近くから曇ったり小雨や雪がちらついたり風も強く、また晴れたりと目まぐるしい空模様でした。震災から6年目という事で大川小学校への来訪者も普段とは比較にならない多さで、新北上大橋の信号は結構な混雑ぶりです。
亡くなられた全ての方々に深い哀悼の意と魂の安らかなる事を祈ります。
希 望 〜 復 興 へ
2011/ 10/23 記
5月になると毎年、私達の目を楽しませてくれた八重桜が今年も咲きました。
庭は三週間以上、塩水に浸かっていたので、庭木は全てダメになっただろうと思ってましたが、この四本の八重桜は今年も花を咲かせました。例年より遅く、花の数も少ないですが、よく生き残ってくれたものです。昨年までは花が散ると庭全部が玄関先までピンクの花で埋め尽くされ、それは綺麗な光景でした。それと、庭の木陰と裏山の裾に植えてた山菜の王様と言われる「シドケ」も何本か芽を吹いてます。野趣溢れる味のシドケは私の大好きな山菜ですが、今年は採らずにそっとして置けば種が飛び、来春は数が増えてまた私達の舌を楽しませてくれるでしょう。
6月16日 車中より撮影
巨大津波で吹き飛ばされた堤防は、わずかの間にここまで復旧しました。高さは以前の堤防より1mくらい高くなってるでしょうか・・・ 堤防法面の保護ブロックも以前は無かったのですが、びっしりと並べられています。冒頭のページで足元から堤防が無くなっていた画像とほぼ同じ地点です。
2011年 3月11日 東日本大震災 〜断絶の日常〜
7月 1日 屋敷周辺の瓦礫撤去が終わり、水田の瓦礫撤去が始まりました。広大な面積の中に流木や倒壊家屋、車などが点在しているのに加え、重機で道路まで一つ一つ運ばなければならないので、かなりの時間が掛る事でしょう。画像は流木を道路まで運んでいるところです。
7月 4日 市内一部地域では未だに電気が復旧していません。市内はまだしも、沿岸部では岩盤の地層が多いため、津波でなぎ倒された
電柱の再建も容易ではありません。また、電気が来てても信号機が復旧せず、他県からの応援で来ている警察官が交通整理をしています。
5月に兄の家で仮住まいするために各仮設を作りました。床は泥出しのために全室剥がしたので、瓦礫の中から拾ってきた材料で床を作りました。流し台は私の家に残ってたのが少し程度が良かったので設置したのですが、扉はほとんど残ってません。野良猫が土足?で歩き回るため、流し台の上には猫除けにペットボトルを並べてます。
浴室と洗面所です。ここも瓦礫の中から一度捨てた私の家のフローリング材を拾ってきて床を作りました。洗面化粧台は回りに貼るベニヤ板が不足したので、壁のボロ隠しのため高圧洗浄機で洗って設置。洗濯機は全自動はさすがにダメでしたが、二槽式と冷蔵庫は基盤まで全てバラして洗浄乾燥後、組み立てたら動きました。
水道の復旧は比較的早かったのですが漏水とその修理のために、その時点では床を剥がさなければならないのと、工事屋さんが多忙なため、応急的に外部へ仮設水道だけ設置してもらい、その後で私がホースと三方弁を買ってきて、必要な場所で使えるようにしました。
家の中のトイレは使えないので、仮設トイレを設置しました。風呂のボイラーはマキと灯油兼用の物ですが、流されて内部までドロだらけだったのを拾ってきて、徹底洗浄後に取付けました。灯油ボイラー部は当然使い物にならないので、マキを焚いて風呂を沸かしてます。
この大震災で私たち被災者は、日本国内、世界各地から多大な人的、物的、金銭的支援を受けました。ただただ感謝の念に耐えません。物資の調達が困難だった時、日本国内はもとより世界中から救援物資が届けられ、国境を越えた人の心の温かさに、私たちはどれほど救われた事でしょう・・・・・
日本と世界中の人々に大きな借りが出来てしまいました。復旧が始まったばかりで復興にはどれほどの時間が必要か分かりませんが、この借りを返す為には、一日も早い復旧、そして復興へと繋げて行く事に他なりません。
私たちは頑張ります!!!
リフォーム開始
8月末から我が家のリフォームに向けて内部の解体作業を始めました。連日の暑さに加え、休日や仕事の合間に作業するのでなかなか捗りませんが、9月中旬から入ってくる大工さんが少しでも仕事をし易くする為に、一人でもできる作業を進めておきます。
作業前の状況
ドロ出しのために床を剥いだ以外は被災時のままです。外壁、内壁はもちろんですが、津波のしぶきを被って、カビが生えているので天井まで落とさなければなりません。
外からも内からも壁があちこちで破られているので、端から端まで全て見渡せます。まるでバケモノ屋敷です。浴室の解体から始めたのですが、総タイル貼りのため、ハンマードリルや大ハンマーでコンクリートを叩き壊しながら、終わるまで3日掛りました。
9/6 土間コン打設
これまでは布基礎だったので湿気が上がり易かったため、ビニールシートを敷き、土間コンを打ちました。基礎屋さんが言うにはベタ基礎ほどでなないものの、強度は驚くほど上がるそうです。なお、この家の基礎と土台の間に挟む湿度調整用のパッキンが一部ですが、あちこちではみ出ていました。津波で家が持ち上げられたのでしょう。あと一歩でこの家も津波に持って行かれるところでした。
9/7〜 再生は破壊から
浴室解体の次は天井です。カケヤ(木製の大ハンマー)を持って天井裏へ上がり、上から叩き落としました。
9/14〜大工さんが作業開始
内部は私が壁から下地に至るまで全て解体したので、大工さんは外壁の解体からです。再生に向けて全て取り払われ、骨組みだけになりすっきりました。これまで津波で破壊されたままの状態だった我が家は、見るに堪えなかったのですが、こうなると精神的にも楽です。
2011/ 7/ 9 記
10/23日現在、木工事は順調に進んでいます。新しくペアガラスのサッシが入り、外壁下地も完了。ユニットバスの設置も終わりました。
木工事はほぼ、今月いっぱいで完了予定ですが、設備工事の仕上げと内装工事は木工事完了後になりますし、外壁工事は外壁屋さんが忙しいらしく、なかなか来てくれません。
義援金を寄せられた皆様
お陰様で私は家を直す事ができました。本当にありがとうございました。ここに深く、心よりお礼申し上げます。
m(_ _)m
作ってもらった事務テーブルです。以前、私が作った物より一回り大きくしました。材は杉で集成材にしてあります。さすがにプロの職人が作った物らしく、そこかしこに「匠の技」が見られます。杉は柾目が美しく、全体の色も暖かみがあり、古くから日本人に親しまれてきた材ですが、思っていた以上の出来栄えで大変満足しています。
リフォーム終了
2011/ 11/26 記
工場・倉庫新築
震災前の工場・倉庫は道路を隔てた家の後ろ側にあったのですが、津波で5mほど動き、柱も5〜6本折れて建物が傾斜し、とても修復できない状態でしたので取壊しました。「何とかしなければ・・・」と考えてはいたのですが、そうそう簡単に新築できるはずも無く、市役所、銀行、商工会など各所へ何度も相談に行き、2012年7月に工場・倉庫新築の融資がようやく決定し、新築できる目途が立ちました。3年間は無利子、4年目以降も低金利で融資が受けられるのと補助金も適用されます。建築場所は当初、元の場所へ建てようと思っていたのですが、いろいろ考えた末に我が家の東側、耕作していない畑に建てる事にしました。現状は畑ですが、地目は私名義の「宅地」になっているので、地目変更等の面倒な手続きも必要ありませんでした。
2012/11/21 建方工事 家の北側より撮影
2012/11/28 基礎工事開始
2012/12/3 配筋を終え、主要電源の土間配管終了 コンクリート打設
2012/12/9 上棟
明け方にかけて雪が降り、あいにくの天気でしたが無事、上棟しました。
2012/12/14 木工事は順調に進捗しています。年内の完成を目材していましたが、基礎の着工が遅れたため完成は来年です。
2013/1/3 記
2013/1/20 12月中にサッシ、シャッターが取付けられ、外壁下地も完了したのですが、外壁屋さんは相変わず忙しいようです。内装工事はそろそろ終わりに近づいています。
2013/1/30 外壁工事は一部を残し、ほぼ終了しました。この後、塗装、シーリング工事の終了後に足場を外してから外構工事に入ります。
ホイスト懸架用にH形鋼を取付けました。入口から奥にかけての搬入用と、作業台へ向けてT字状になっています。
2013/2/10 記
完 成
2013年3月末日、完成しました。
最後に残った工場入口の土間コンを打設してから4〜5日の養生期間を置いた3/25頃から本格的に使用可能となりました。以前の工場(二階建)は何室にも区切られていて建坪は大きかったものの、作業をするのに少々窮屈な時もあったのですが新築した工場は平屋(一部中二階建)にして上部の高さと作業面積を十分に広く取ったので、作業車を入れたままでも大抵の作業ができるようになりました。
工場正面より
正面シャッター側から
工場左側入口より主作業場と奥・機材倉庫
これで仕事環境は震災前に戻る事ができました。この後、工場完成後でないと設置できなかった工具、工作機械類を順次購入して行く予定です。震災から2年・・・・・ 正直、工場・倉庫をこんなに早く、と言うより新築できるなんて考えてもいませんでした。私は被災者の中でも幸運な方だと思います。家は破壊されても骨組みだけはしっかりと残り、建築制限もかからず、工場・倉庫まで建てる事ができたのですから・・・・・ 建築に携わった職人さんを始め、支援してくれた皆様、本当にありがとうございました。
2013/4/23 記
m(_ _)m
被災地は確実に復旧から復興へと向かっていますが、復興住宅や被災代替地の造成が進まず、まだ多くの方々が仮設住宅で暮らしています。一日も早く、一人でも多くの方が震災前の生活に戻ってほしいと切に願います。そんな中、昨年で水田の除塩作業も終わり2010年以来、4年振りに稲作が再開されました。今の所、何の障害も見られず、順調に生育しています。震災以前の美しい田園風景が蘇りました。見渡す限り一面の緑の絨毯です。生命の力強さがみなぎる、この地の一年で一番美しい景色です。
2014/7/27 記
2014/9/23 記
穂がたわわに実りました。もうすぐ収穫です。
2016/1/24 記
昨年から堤防の本築堤と橋の工事が始まっています。応急的に復旧させた堤防の内側に仮堤防を作り、写真正面から伸びていた復旧堤防が取り壊されました。この辺りは地盤が砂地だったので根底から造り直しています。橋の方は外部でトラス構造の橋桁を製作し、横滑りさせて組み付けるようです。震災から間もなく五年になろうとしていますが、各地では未だに震災の爪跡は消えていません。災害公営住宅の建設も進んでいますが、五度目の冬を仮設住宅で迎えている方々もまだ多く、一日も早い災害代替地の造成をと願わずにいられません。
2017/3/11 記
2011/ 11/15 全ての残工事が終わり、リフォームが終了しました。開始前の2枚の写真と比べて下さい。あのバケモノ屋敷が見違えるようになりました。それもこれも日本全国、世界各地から寄せられた支援金や義援金(総額368万円)の一助があったお陰様です。このお金が無ければとてもリフォームには踏み切れませんでした。